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京都地方裁判所 昭和61年(ワ)591号 判決 1992年6月26日

主文

一  被告らは各自、原告らに対し、各金二五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月二八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事 実】

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告らに対し、各金二五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告吉川正男及び同吉川純子(以下「原告純子」という。)は、死亡した吉川昌志(昭和四三年六月六日生、以下「昌志」という。)の父母である。

(二) 被告学校法人同志社(以下「被告同志社」という。)は、同志社国際高等学校(以下「国際高校」という。)を設営する者である。

(三) 被告医療法人啓信会(以下「被告啓信会」という。)は、医療法人啓信会京都木津川病院(以下「木津川病院」という。)を設営する者である。

2  死亡に至る経緯

(一) 本件合宿の経過

(1) 昌志は、昭和五九年四月、国際高校に入学し、同月一九日、同校の教諭古角哲(以下「古角教諭」という。)及び戸田光宣(以下「戸田教諭」という。)らが顧問を務めるサッカー部に入部した。

同サッカー部は、昭和五九年八月二六日から同月三一日までの間、顧問教諭らの監督・指導のもと、国際学校校内で合宿訓練(以下「本件合宿」という。)を行つた。昌志は、本件合宿に他の部員三四名(全部員四三名)とともに参加した。

(2) 本件合宿訓練におけるサッカーの実技指導は、国際高校サッカー部のコーチである星名勝(以下「星名コーチ」という。)が担つていた。星名コーチは、本件合宿の目的を全国高校サッカー選手権大会京都府予選ベスト・エイトに残ることにおき、参加生徒個々の基礎体力・運動能力・サッカー経験等の差異を無視して、全員一律の練習メニュー・合宿スケジュールのもとに、八月二六日の合宿初日から連日体温に近い気温の中で、体力の消耗の激しい相当苛酷な内容の練習を参加生徒に行わせた。

(3) 八月二七日(合宿二日目)、苛酷な練習のもと、昌志は、午前中の練習の際、前方に走らなくてはならないのに後方に戻つてしまうという奇異な行動を示し、続いて、練習の合間にグランドの隅で放尿をしていた際、突然意識の混濁に見舞われ、転倒して頭部を打撲するとともに意識喪失を起こし、無意識に草をむしり取つて口に入れたり、理由なくコンクリート壁に頭を打ち付けたり、意味もなく失笑したり等の異常行動を行つた。昌志は、これ以後、過度の疲労を訴え、練習を見学することが多くなつた。同月二八日(合宿三日目)の練習の際、昌志は、ころがつてくるボールにはいつくばつて頭を打ち付けるという異常な行動を行つた。この日から昌志に、尿量減少、茶褐色尿、発熱、きついアンモニア臭の体臭の発散等の症状が現れ始めた。

(4) 同月三〇日(合宿五日目)の朝、古角教諭は昌志のふらつき及び発熱に気付き、午後九時半ころ昌志を木津川病院に救急車で搬送した。

(二) 木津川病院の診療

木津川病院内科医である和田勝医師(以下「和田医師」という。)は、搬入されてきた昌志を診察し、軽い脱水と上部気道感染症であると診断して、点滴と内服薬の処方の後、「連れて帰つてしばらく休ませてください。」との指示をして診療を終えた。

(三) 大和郡山病院の診療等

木津川病院での診療後もなお昌志に夜間の不眠、全身倦怠、発熱、茶褐色の尿、アンモニア臭の体臭、尿量の減少が続くため、昭和五九年八月三一日、昌志は、補助参加人が経営する大和郡山総合病院(以下「大和郡山病院」という。)に行き診察を受けたところ、急性腎不全の疑いがあるとの診断を受けたので、即日入院した。同病院において、昌志は、諸検査並びに、急性腎不全の治療として血液透析等の治療を受けたが、同年九月一〇日午後七時一三分死亡した。

3  昌志の死因

昌志の直接死因は脳浮腫であるが、その原因は横紋筋融解による急性腎不全であつた。ところで、横紋筋融解による急性腎不全とは、過激な運動によつて筋肉が崩壊し、ミオグロビン等の筋原性酵素が多量に血中に漏出し、尿細管に障害をもたらし、急性腎不全を発症させるものである。本件合宿訓練中に昌志に横紋筋融解が生じ、八月二七日には急性腎不全を発症していたものである。本件は、横紋筋融解による急性腎不全が治癒されることなく発展し昌志の死亡をもたらしたものである。

4  責任原因

(一) 被告同志社の責任

本件合宿は国際高校が学校教育活動の一環として行うクラブ活動の行事の一つであるから、被告同志社が在学契約に付随して、本件合宿中の生徒の生命・身体の安全を図る義務を有することはもちろん、被告同志社の履行補助者である同校の顧問教諭らは、参加生徒の健康状態に留意し、合宿訓練中、参加生徒の健康状態に異常を発見した場合は速やかに応急措置を採り、あるいは医療機関による診療を受けさせるよう注意すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負うものである。

ところで、本件合宿は、体温に近い気温という猛暑の中、星名コーチの指導のもとに苛酷な練習が行われ、顧問教諭らとすれば、かねてから基礎体力が劣り疲労の蓄積が激しい生徒であつた昌志において腎障害を惹起させる可能性が大きいことを予見し、腎障害の発症を未然に防止すべく配慮(充分な休憩、水分の補給等)を尽くすよう注意すべき義務を負つていたにもかかわらず、次のとおり漫然これを怠り、不適切な人的・物的環境と無謀かつ危険な練習によつて昌志に横紋筋融解による急性腎不全を発症せしめ、かつ、右病状の徴表である昌志の異常状態が明らかになつていたのにもかかわらず、顧問教諭ら及びコーチは昌志の容態になんら注意を払わず、適切な救急措置を採らず横紋筋融解による急性腎不全を発症せしめた過失がある。

従つて、被告同志社は、顧問教諭ら及びコーチの使用者として民法七一五条により責任を負う。

(1) 人的環境の不備

顧問教諭らはいずれも、サッカーの練習中の生徒の疲労度や疲労回復の充分さ等を実感するだけの経験に乏しく、本件合宿訓練中の生徒の健康管理について臨機かつ応変な判断・指導を行うには充分な能力を有していなかつた。

他方、星名コーチは高校時代にサッカー経験を有するものの、キャプテン等の指導的立場を担つたことはなく、また、合宿の指導経験もなかつたので、本件合宿において生徒の管理を担うだけの能力に欠けていた。

(2) 合宿施設の不備

本件合宿での生徒の宿泊場所は国際高校の教室棟二階の教室であつたが、同教室は通風が充分行われておらず高温多湿で生徒に睡眠を取らせるには不充分な環境であつた。然るに、顧問教諭らは右事情を考慮せず漫然宿泊施設をして利用したため、昌志に充分な睡眠をとらせず、疲労を蓄積させた。

(3) 無謀かつ危険な練習

星名コーチは、本件合宿の初日から参加生徒の基礎体力差、運動能力差、体調等の個別的諸事情を無視して、体力的に消耗の激しい高度な内容の練習を行わせた。生徒間に全国高校サッカー選手権大会京都府予選ベスト・エイトに残るという目的のもと、競争心を煽り体力的に無理な練習を行わせる雰囲気を作り、自由に休憩を取る等生徒自身による自分の体力に応じた健康管理を自主的に行わせる機会を与えなかつた。

(4) 昌志の健康状態に対する無配慮

顧問教諭らは、昌志が八月二七日以降、極度に疲労しており、練習中の異常行動、練習後の容態、乏尿、体臭、二七日の卒倒後の異常行動の訴え等から急性腎不全に陥つていることが明らかであつたが、昌志の容態に配慮せず、休息・水分補給等適切な応急措置を採らないまま、八月三〇日になるまで、放置していた。

(二) 被告啓信会の責任

木津川病院の医師は、患者である昌志に対して現代医学の知識・技術を駆使して、可及的速やかにその病状を医学的に解明し、原因ないし病状を的確に診断した上、当時の医学水準に応じた適切な治療を迅速に施すべき注意義務を負うものである。

ところで、横紋筋融解による急性腎不全は、現病歴についての問診と初歩的な理学的検査によつて容易に判定でき、かつ、早期に適切な治療を施せば予後が良好な疾患である。昌志は八月二七日以来急性腎不全の罹患を窺わせるに充分な症状(乏尿、尿毒症症状である中枢神経障害《二七日の意識障害及びその後の異常行動、アンモニア臭の体臭》、茶褐色尿等)を呈しており、木津川病院受診時において和田医師において昌志の乏尿を知り得る状況であつたのであるから、和田医師とすれば、昌志に対し、原病歴に対する充分な問診と、病態を解明するための諸検査をして、昌志の急性腎不全を的確に診断し、かつ、その程度に応じて保存的療法あるいは透析療法等現代医学の水準に応じた適切かつ迅速な治療を施すべき注意義務があつたにもかかわらず、漫然これを怠り、急性上気道炎の罹患との誤診し、急性腎不全に対する早期治療を施さなかつた過失により、昌志の急性腎不全を回復不可能な事態にまで進展させて昌志を死亡させたものである。

従つて、被告啓信会は、木津川病院の医師の使用者として民法七一五条により責任を負う。

5  損害 七四二六万七一二四円

(一) 昌志の逸失利益 四九七六万七一二四円

昌志は大学に進学することが確実であつたので、賃金センサス昭和五九年第一巻第一表産業計、企業規模計、旧制・新制大学卒業の二〇ないし二四歳の男子労働者の平均年収額四八九万四一〇〇円を基礎にすることが相当であり、右年収をもとに、生活費として五〇%を控除し、平均稼働年数である六七歳まで働くものとして、中間利息をホフマン係数で控除すると、次の計算式のとおり四九七六万七一二四円となる。

4、894、100×20.3376×0.5=49、767、124

(二) 慰謝料 一七〇〇万円

(三) 葬儀費用 八〇万円

(四) 弁護士費用 六七〇万円

原告らは昌志の相続人として、右損害についての損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続した。

よつて、原告らは被告ら各自に対し、それぞれ不法行為による損害賠償請求に基づき損害額七四二六万七一二四万円の内金五〇〇〇万円の二分の一である二五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

(被告同志社)

1 請求原因に対する認否

(一) 請求原因1(当事者)の事実は認める。

(二) 同2(死亡に至る経緯)の

(1) (一)(本件合宿の経過)の事実のうち、(1)(入部及び合宿参加)及び(4(昌志の搬送)の事実は認め、(2)(合宿目的及び練習)の事実は否認し、(3)(昌志の異常行動)の事実のうち、二七日に昌志が前方に走らず後方に戻つたこと、二八日にはいつくばつてボールに頭を打ちつけたことは認め、その余は知らない。

(2) (二)(木津川病院の診療)の事実は認める。

(3) (三)(大和郡山病院の診療等)の事実のうち、昌志が昭和五九年九月一〇日午後七時一三分に死亡したことは認め、その余は知らない。

(三) 同3(昌志の死因)の事実のうち、急性腎不全と脳浮腫の因果関係は否認し、その余は知らない。

(四) 同4(責任原因)の(一)(被告同志社の責任)のうち、被告同志社、顧問教諭らが安全配慮義務を負うことは認め、その余は争う。同(二)(被告啓信会の責任)の事実は知らない。

(五) 同5(損害)のうち、(三)(葬儀費用)の事実は認め、その余は争う。

2 被告同志社の主張

(一) 本件合宿の経過

(1) 昭和五九年八月二六日に本件合宿訓練が開始されたが、この日は午後二時三〇分から午後六時までの三時間半の間、インサイド・パス、パス・アンド・ランニング、ミニゲーム等の練習を行つたのみであり、他の日の練習時間の半分の練習であつた。また、練習内容においても身体を慣らすことを目的としたため、他の日より運動量を軽くしていたので苛酷なものではなかつた。本件合宿における練習メニューは学年や参加生徒各自の体力差・技能差にかかわらず全員一律の内容であつたが、参加生徒は自らの体力や疲労に応じて随時休憩を取つており、また、部員数の関係から順番待ちが多かつたので、合宿中の練習はさして厳しいものではなかつた。昌志は、三〇日までの間食事を欠かさず摂つており、かつ、就寝も早くから取つていた。

(2) 同月三〇日(合宿五日目)早朝、古角教諭は食堂に向かう昌志がふらついて真つ直ぐに歩けない状態であることに気付いた。同教諭は、昌志から二七日の意識喪失、頭部打撲及びその後の異常行動を聞かされ、また、かなりの熱があることを知つたので、朝食後、昌志を保健室のベッドで休ませ、出勤してきた養護教員小幡と相談の上、午後九時半ころ救急車を呼んで同教諭及び学友一名の付添のもとに昌志を木津川病院に搬送した。

木津川病院での診療後、古角教諭は、タクシーで昌志を学校に連れて帰り、クーラーを入れた保健室で休ませた。戸田教諭が保健室に近い教員室で待機した。午後五時ころ、古角教諭が昌志の母親に連絡をし、事情を話した後、昌志は母親に連れられて自宅で静養すべく、午後六時ころ帰宅した。

(二) 顧問教諭らによる安全配慮義務の実施

(1) 健康管理体制の充実

本件合宿中の生徒の健康管理については、参加生徒がいずれも自主的に健康管理を行えるまでに成長している高校生であることを尊重し、自分の体調や疲労度に応じて、練習を休んで見学するか、保健室で休憩するか、医師の診断を求めるか等を自主的に判断を行わせ、その旨申し出させて、各自の判断で健康管理を自由に行わさせることを原則とした。

更に、合宿中の生徒の健康管理については、戸田及び古角の顧問教諭両名が泊まり掛けで出校し、練習状況の監督、食事・入浴の世話に当たり、生徒の健康状況を掌握するため合宿中の全ての食事を生徒とともに会話をしながら摂る等生徒の疲労度や健康状態の把握に可能な限りの努力を払い、就寝時間が遅れるような場合には、翌日の練習メニューを変更する等の指導を講じてきた。特に、顧問教諭らは、練習後のミーティングの際、生徒から体調を聞き、具合が悪いと言う生徒には、休憩を指示したり、医療機関に連れて行く等の配慮をしていた。被告同志社は、本件合宿参加生徒三五名の健康管理のための顧問教諭二名以外に、学校が承認した星名コーチ、保健室職員の四名の人員を配置していた。

顧問教諭らとコーチの役割分担については、星名コーチは専らサッカーの実技指導に当たり、顧問教諭らはそれ以外の生活指導、健康管理(安全配慮)を担当することを原則としていたが、コーチにおいても実技指導中、生徒に疲労がみられる場合には休憩を指示することも当然行われていた。また、生徒の異常事態発生に対しては、顧問がその場にいない場合は直ちに部長もしくはマネージャーが顧問に報告しに来るように指示しており、それは徹底されていたし、顧問とコーチは随時意思疎通を行うようにしており、練習中にコーチが気付いたことがあれば、顧問に連絡することも行われていた。合宿中の生徒の監護体制に不備な点はなかつた。

(2) 昌志の体調不良に対する処置

顧問教諭らは、本件合宿を実施するに当たり事前に、参加生徒中特に基礎体力、運動能力が劣る生徒として昌志に注意を向け、疲労が強く認められた場合はすぐに休憩を取らせる等の対処を迅速に行う方針であり、現に顧問らは他の生徒よりも多く昌志に対して体調を質問し、食事の摂取についても絶えず目を配つていた。昌志は、合宿初日から八月二九日までの間、夕食も全て残さず食べており、就寝も他の生徒より早く、また、練習中においても随時頻繁に休憩を取つていたことから、顧問教諭ら及び星名コーチにおいて外見上昌志の内臓疾患の悪化、特に腎障害の発症は見受けられなかつた。

ところで、昌志は自分の身体的状況を認識し、何らかの異常があつた時は自ら申出ることができる程度にまで成長している高校生であるから、外見上特段の異常が窺えない限り顧問らが無理に体調を探ることもできず、昌志本人からの体調不良などの申出がなされない場合は、その体内の異常を覚知することは不可能である。昌志は、八月二九日以前においては食事時、ミーティング時の再三にわたる顧問教諭らの体調に関する質問に対して、なんら異常を訴えたことはなかつた。本件において、顧問教諭らが、ふらつきと発熱という外見上の特段の異常を発見し、かつ、昌志本人から八月二七日の頭部打撲等の事実を聞いたのは八月三〇日の朝であり、それ以前において顧問らが昌志の体調不良を知り、急性腎不全を予見することは不可能であつた。

他方、古角教諭は、八月三〇日において昌志の異常を発見するや、直ちに救急車を手配して設備の整つた木津川病院へ自ら付添ながら搬送し、早期に医療期間による診療を受けるべく最善の努力をしており、安全配慮義務の履行に欠けるところはない。

(三) 横紋筋融解による急性腎不全の発症に対する対処について

(1) 過激な運動、脱水症状が腎障害を惹起させる可能性があることは事実であるにしても、運動により横紋筋が融解すること、横紋筋融解によつて急性腎不全が発症することは、極めて稀な事象である上、最近においてようやく臨床医師の間で知られつつある事実であり、学校関係者やスポーツ関係者において本件合宿当時、昌志において横紋筋融解による急性腎不全が発症していたことを予見することは不可能ないし極めて困難であつた。

(2) 横紋筋融解による急性腎不全については、どの程度の運動やその他の要因で横紋筋が融解するのか、横紋筋融解の防止方法、横紋筋融解から急性腎不全の発症機序及びその防止方法は、本件当時はもちろん現在でも不明である。従つて、仮に本件合宿当時、顧問教諭らにおいて運動による横紋筋融解による急性腎不全の発症を予見すべきであつたとしても、運動による横紋筋融解の発生、横紋筋融解からの急性腎不全の発症のいずれをも防止する方策を取ることは不可能であつた。したがつて、右疾患に対する救護義務を顧問教諭らが負うものではない。

(四) 昌志の死亡原因と急性腎不全との因果関係

(1) 原告らの主張によれば昌志の直接の死因は脳浮腫であるが、仮に、本件合宿訓練で昌志に横紋筋融解による急性腎不全が発症したとしても、透析によるコントロールが正常になされている限り急性腎不全から脳浮腫が招来されるものではない。

昌志の大和郡山病院入院後である九月一日の血液生化学検査によれば、血中尿素窒素値(BUN)一三〇・九mg/dl、血清クレアチニン値一〇・九mg/dl、血清カリウム値六・〇ミリ当量/dlであつたが、この程度であれば、血液透析等の処置で充分に改善される容態であつた。現に、大和郡山病院は八月三一日から九月一〇日までの間、計七回の血液透析を実施しており、九月四日には、尿素窒素五八・八mg/dl、クレアチニン値五・一mg/dl、カリウム値三・四ミリ当量/dlにまで改善しており、九月八日までに急性腎不全の容態は回復傾向を示し、入院時の緊急透析を要する事態は一応打開されていたものである。しかし、九月九日から昌志は痙攣重積状態に陥り、脳浮腫を招来して死亡している。この点、大和郡山病院は入院後痙攣発作の発症までの九日間に合計一〇gの抗生物質(エポセリン)を投与しているが、エポセリンは、腎機能障害がみられる場合には体内に蓄積し中枢神経障害を起こすものであるから、昌志の場合もこのエポセリンの排泄が充分に行われずに体内に蓄積し、痙攣重積状態、脳浮腫を招来したものである。すなわち、大和郡山病院の抗生物質の過剰投与が昌志の直接死因である脳浮腫をもたらしたものであり、横紋筋融解による急性腎不全と昌志の死亡との間には因果関係はない。

(2) 昌志は大和郡山病院で、中枢神経障害(痙攣等)の副作用を有する抗生物質であるリラシリンの投与も受けているが、右(1)のエポセリンの場合と同様、昌志の死因である脳浮腫は右リラシリンからもたらされたものであり、横紋筋融解による急性腎不全と昌志の死亡との間には因果関係がない。

(被告啓信会)

1 請求原因に対する認否

(一) 請求原因1(当事者)の事実は認める。

(二) 同2(死亡に至る経緯)のうち、(一)(本件合宿の経過)は知らず、(二)(木津川病院の診療)の事実は認め、(三)(大和郡山病院の診療等)の事実のうち、昌志が昭和五九年九月一〇日午後七時一三分に死亡したことは認め、その余は知らない。

(三) 同3(昌志の死因)の事実は否認する。

(四) 同4(責任原因)の事実は争う。

(五) 同5(損害)の事実は争う。

2 被告啓信会の主張

(一) 木津川病院での診療の経緯

(1) 昭和五九年八月三〇日午前九時五三分、昌志は、木津川病院に救急車で搬入されて来たが、随伴する顧問教諭とともに昌志は自ら歩いて診察室に入つてきた。

外来診察での昌志の主訴は頭部打撲と発熱であつたため、脳神経外科の志熊医長が診察を行つたところ、昌志は、現病歴として、八月二七日(受診四日前)に卒倒し、その際一時意識の喪失があつたものの覚醒後は別段変調がなかつたのでそのままにしていたが、八月二九日(受診二日前)ころから発熱気味で、受診当日の朝からふらついて倒れそうになり、検温すると三九・七度の高熱であつたため救急車での搬送を頼んだとの旨申し述べた。志熊医師は、頭部のレントゲン検査を行つたが異常は認めらず、理学的検査を行つたものの、意識清明、神経学的異常も認められず、頭部打撲と発熱は関係ない旨判断した。しかし、昌志には発熱があり、また、咽頭痛の訴えがあつたので、内科に紹介した。

(2) 内科では和田医師が診察を行つた。和田医師は、主訴が発熱及び咽頭痛であつたので、まず、風邪を疑い、風邪の症状(咳、鼻、喉)の有無、頭痛、下痢、嘔吐の有無等の問診を行つたところ、咽頭痛以外に特段の変調を訴えることはなく、また、付添の顧問教諭に事情を聞いたが、サッカー部の練習は常識の範囲内のものであつたとの回答を受けた(この問診の際、昌志の卒倒後の異常行動について聞かされていなかつた。)。続いて、和田医師が理学的検査を行つたところ、意識は清明で、独立歩行も可能、応答も一応しつかりしており、顔面紅潮、咽頭発赤、疲労が窺われたこと以外に特段の病的な変調は認められなかつた。更に、血液検査を行つたところ、白血球数の軽度の増多、軽度の血液濃縮という所見が得られた。泌尿器系疾患の可能性を考慮して、尿検査の実施を試みようとしたが、昌志から「今は採れない。」として尿の提出を得られなかつたので実施しなかつた。血圧に関しては昌志がサッカー部の合宿に参加できる健康体であつたこと、理学的所見から測定する必要性を感じなかつたので実施しなかつた。

和田医師は、右検査等の結果及び昌志が夏期暑中期間にサッカーの合宿訓練を行つていたこと等から、疲労と軽い脱水症状、急性上気道炎の罹患との診断を下し、輸液及び内服薬(抗生物質、消炎剤)を処方した後、随伴者に対し帰つて涼しいところで静養して経過観察を行う旨、昌志本人に対し自宅近所の医院で精密検査を受診するようにとの旨を指示し、診療を終えた。

(二) 急性腎不全の発症の予見可能性について

外来の初診時において医師が患者に対してあらゆる疾患の有無を確かめることは不可能である。医師としては、患者の主訴及び理学的所見に基づいて、可能性のある複数の疾患のうち、まず、頻度の高い疾患を念頭において、とりあえず対症療法を実施しながら経過観察し、その効果が上がらなければ頻度の低い疾患、希有の疾患へと注意を集中していくのが通常である。医師が外来の初診時に患者の腎疾患を疑う場合には、乏尿(尿量一日当たり四〇〇ml以下の状態)や浮腫といつた腎疾患の症状に関する主訴や理学的所見があつた場合であるが、本件の場合、昌志の主訴は頭部外傷、発熱及び咽頭痛であり、また、尿についても「今はでない。」といつただけで排尿の回数、色調等について何の訴えもなかつたのであるから、和田医師としては、直ちに急性腎不全を疑うことができなかつた。したがつて、腎疾患の有無を各種の方法(尿検査や血液生化学検査等)をもちいて検査しなかつたとしても和田医師に過失はない。

(三) 大和郡山病院での九月一日の血液生化学検査では、血中尿素窒素値一三〇・九mg/dl、クレアチニン値一〇・九mg/dl、カリウム値六・〇ミリ当量/dlであつたが、<1> 血清クレアチニン値は横紋筋融解による急性腎不全の場合は一日に三mg/dl以上の速度で上昇するので、木津川病院受診時(八月三〇日)から九月一日までの二日間で基準値一・一五mg/dl前後から一〇・九mg/dlに到達することがあり得ないわけではなく、<2> 尿酸窒素値は組織崩壊や異化亢進が激しい時期では一日に五〇mg/dlの割合で上昇することも稀でなく、一日に一〇八mg/dlの上昇例もあり、無尿開始時から四ないし五日間に三〇ないし五〇mg/dlの速度で上昇し、あるいは、一日あたり五〇ないし一〇〇mg/dlの上昇があるともいわれている。昌志の横紋筋融解による急性腎不全は急激な経過を辿つたものであるから、八月三〇日から九月一日までの二日間に基準値二〇mg/dlから一三〇・九mg/dlに上昇したことも充分考えられ、<3> 急性腎不全では赤血球増血障害から貧血が発症後二ないし三日中に出現するものであるが、昌志の貧血は九月三日に至つて初めてみられたにすぎないこと等からすると、木津川病院受診時では急性腎不全が未だ発症していなかつた可能性が極めて高い。八月三〇日の時点では急性腎不全の発症を診断する際に有用である血清クレアチニン値、血中尿酸窒素値等はいずれも正常値の範囲内であつた可能性が高い以上、和田医師において仮に血液生化学検査等を行つても急性腎不全の発症を発見することは極めて困難であつたから、急性腎不全に対する処置を取らなかつたからといつて和田医師の過失を問うことはできない。

(四) 昌志の死亡と急性腎不全との因果関係

(1) 前記二2(被告同志社の主張)(四)(昌志の死亡と急性腎不全との因果関係) (1)(エポセリンの過剰投与)の主張と同じ。

(2) 大和郡山病院は、昌志が痙攣重積状態に至るまでに副腎皮質ステロイド剤(ソルメドロール、プレドニン)を投与していたが、これらの副作用として昌志の中枢神経障害(痙攣)が発症したものである。昌志の直接死因である脳浮腫は大和郡山病院の副腎皮質ステロイド剤の投与によつてもたらされたものであり、急性腎不全と昌志の死亡との間に因果関係はない。

(3) 大和郡山病院の痙攣重積状態に対する過誤

大和郡山病院は、九月九日の昌志の痙攣発作に対して、適切な呼吸管理をしておらず、この過誤が昌志の痙攣を長引かせ死に至らしめたものである。

第三  補助参加人の主張

補助参加人は、昭和五九年八月三一日に経過観察及び精査の必要を認め、昌志を入院させ、田北病院でCT検査をしたほか、胸部レントゲン検査及血液検査を実施し、九月一日には血液透析をし、投薬を続け、適切な治療をしていたものである。したがつて、補助参加人には、昌志の死亡に対する責任はない。

第四  《証拠関係略》

【理 由】

一  請求原因1(当事者)の事実、同2(死亡に至る経緯)のうち(二)(木津川病院の診療)の事実、同(三)の(大和郡山病院の診療等)の事実のうち昌志が昭和五九年九月一〇日午後七時一三分に死亡したことは、当事者間に争いがない。

原告らと被告同志社間においては、請求原因2(死亡に至る経緯)の(一)(本件合宿の経過)のうち(1)(入部及び合宿参加)及び(4)(昌志の搬送)の事実、同(3)(昌志の異常行動)の事実のうち二七日に昌志が前方に走らず後方に戻つたこと、二八日にはいつくばつてボールに頭を打ちつけたこと、請求原因4(責任原因)の(一)(被告同志社の責任)のうち、被告同志社、顧問教諭らが安全配慮義務を負うこと、請求原因5(損害)の(三)(葬儀費用)の事実は争いがない。

二  昌志の死亡に至る経緯

前示争いのない事実に加えて、《証拠略》によると以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  本件合宿の経過

(一) 昌志は、昭和五九年四月、国際高校に入学し、同月一九日、同校のサッカー部に入部した。

サッカー部は国際高校の教諭古角哲、戸田光宣及び下原秀基が顧問を務めていた。戸田及び下原教諭はサッカーの経験が全くなく、また、古角教諭は中学一年生及び二年生の夏休みまでの間サッカー部に在籍していた経験があるだけで、いずれもサッカーの実技指導を自ら行えなかつたので、同志社香里高校サッカー部の卒業生で本件当時同志社大学工学部に在籍していた星名勝に昭和五九年六月からコーチとしてサッカーの実技指導を委ねていた。同部のコーチの立場は、顧問教諭の責任の下、実技指導面において顧問教諭らを補佐するというものであつたが、練習における時間、運動量、生徒管理等については顧問教諭らと星名コーチは対等の立場で協議して決めていた。

昌志は、小学校六年生と中学一年生の二年間サッカー部に所属していたが、以後、国際高校サッカー部に入部するまでサッカー部に入つたことはなかつた。

合宿前の一学期時におけるサッカー部の練習時間は、午後三時半から五時半までの二時間程度であつた。練習時の際に生徒が疲れて休憩を取りたい場合は、その生徒が、星名コーチ、キャプテンあるいは上級生に休憩を欲する理由(疲れている又は怪我をした等)を申告し、星名コーチの休憩の指示を受けて行つていた。

サッカー部は、一学期終了後七月二三日から約一か月間夏休みを取つた。この間、本件合宿までにサッカー部の練習は、七月中旬と八月中旬ころ(合宿の一週間程前)に練習を行つただけであつた。八月中旬の練習は三日間程、一日二時間程のものであり、昌志も参加していた。

(二) 国際高校サッカー部は、昭和五九年八月二六日から同月三一日までの間、古角及び戸田教諭両名(以下「顧問教諭ら」という。)及び星名コーチの付添・指導のもとに国際高校校内で本件合宿を実施した。本件合宿の生活プログラムは、午前六時に起床し、同六時三〇分から七時まで練習(以下「早朝練習」という。)、同八時から朝食、同九時三〇分から一二時まで練習(以下「午前の練習」という。)、午後零時三〇分から昼食、同二時三〇分から六時まで練習(以下「午後の練習」という。)、同六時三〇分から八時まで夕食及び入浴、同八時一五分から一〇時までミーティング、同一一時に消灯するというものであつた(但し、初日である二六日はサッカーの練習は午後からで、また、最終日である三一日は早朝練習のみであつた。)。

昌志は、右合宿に他の部員三四名(全部員四三名)とともに参加した。

昌志は、格別、虚弱であるとか持病を有する等のことはなく、健康体であつたが、動作に緩慢さが見られ、運動能力、基礎体力が標準よりも劣つていた。しかし、努力家であり、疲れても自分から休憩を積極的に取ろうとせず、無理をして練習するタイプであつた。昌志は、練習中疲れても終始表情が変ることがなかつた。また、昌志は、人前では過度に緊張し、はつきりと自己主張ができず、特に先輩に対してはしどろもどろになるタイプであつた。

顧問教諭らは、昌志が運動能力及び基礎体力が他より劣ること及び疲れても無理をして練習に参加することから、他の虚弱な感じの生徒である一年A組の小林義人(虚弱な感じ。)、同A組の千葉光彦(基礎体力が劣つている。)、同D組の富永宏知(虚弱な感じ。)、同E組の森圭史(四月の春期健康診断の際に心臓が若干弱いとの指摘を受けていた。虚弱な感じ。)らとともに昌志に対しては、本件合宿を行うに際して、特に健康状態に注意を向けることにしていた。

(三) 昭和五九年八月二六日午前一一時から本件合宿が開始された。昌志は、午前一一時三〇分ころから参加した。参加部員全員が集合した時点で、まず、顧問教諭から合宿中の一般的な健康管理(疲労が溜まつた場合は部員各自が自主的に休憩を取ること、就寝時間を厳守して睡眠を充分取ること、食事は全部食べること等)等の指導を行つた。

午後から練習を開始した。この練習の内容は、インサイド・パス(四ないし五人が四ないし五角形になり、足の内側でボールを蹴つて回す練習)、パス・アンド・ランニング(二人一組になつてグランドをランニングしながらボールをパスする練習)、四種各三周(二人一組になつて、ヘディングなど四種類の練習をし、グランドの半面をボールを蹴りながら歩いて三周する練習)、ミニ・ゲーム(七ないし八人で一チームを作り、グランドの半面を使つて、二〇分ずつの紅白試合を三回繰り返して行う練習)、グランドの半面をリレー形式で走る等であつた。

星名コーチは、本件合宿の目的を全国高校サッカー選手権大会京都府予選(参加校三五ないし六校)のベスト・エイトに残ることにおき(当時、国際高校サッカー部は京都府下で中程度の技術レベルで、同予選の一回戦を勝てるかどうかという実力であつた。)、参加生徒の学年・基礎体力・運動能力・サッカー経験等の差異にかかわらず全員一律の練習メニュー、合宿スケジュールのもとにサッカーの練習の指導を行つた。

星名コーチは、特に、合宿初日はなまつた身体をほぐすという意味で汗を流す必要があると判断し、体力的に消耗の激しい練習を行わせた。

午後八時一五分から同一〇時過ぎころまでミーティングが行われ、昌志も参加した。ミーティングでは星名コーチが進行役となり、専らサッカーの技術的な問題をテーマにしていた。消灯は午後一一時であつたが、昌志はミーティングが終わるといちはやく就寝した。

(三) 同月二七日(合宿二日目)は、早朝練習として午前六時三〇分から四〇分の間、グランドの半面を一〇周するジョギング、リフティング(膝、足でボールをセーブし続ける練習)を行い、午前七時一〇分ころ朝食を摂つた。午前の練習として午前九時三〇分から正午までの間、インサイド・パスを五〇本、ロング・パス(二人一組になり二〇ないし三〇mの間隔を開けてボールをパスする練習)五往復、ポスト・シュート(ゴールにシュートする練習)、ジグザグ・パス(二人一組になりパスを繋ぎながらゴールに向かつて走つてシュートする練習)、三箇所センターリング・シュート(ゴール付近に三人の人員を配置し、ボールをパスしながらゴールを決める練習)、競争一〇周、ドリブル・シュート等の練習を行つた。昌志は、右ロング・パスの練習の際、前方に走らなくてはならないのに後方に戻つてしまう等の行動を行い、疲労を顕著に顕していた。

昌志は、練習の合間を縫つてグランドの隅にあるテニスの壁打ち用コンクリート壁の裏で放尿をしていたところ、突然意識の混濁に見舞われて、意識を喪失し(以下「二七日の意識喪失」という。)、もがき苦しみながら無意識に草をむしり取つて口に入れたり、理由なくコンクリート壁に頭を打ち付けたり、意味もなく失笑したり等の異常行動(以下「意識喪失後の異常行動」という。)を行つた。

用便から戻つてきた昌志は、当時サッカー部の部長を務めていた二年生の岡橋亮輔(以下「岡橋キャプテン」という。)に、意識喪失とその後の異常行動の話しをした上、星名コーチに休憩の申し出の伝言を頼み、体育館横からグランドへ降りる階段(以下「階段」という。)のところで座つて休憩を取つた。右伝言を受けた星名コーチは岡橋キャプテンに対して昌志の容態等疲労の程度・状態について問い質すことはなかつた。二年生の中村隆文が休憩している昌志に体調を尋ねたところ、昌志はたどたどしく右意識喪失やその後の異常行動の話しをしたが、中村は昌志の表情に疲労が窺えないとして気に留めなかつた。

古角教諭は、午前の練習時に三〇分間ほどグランドで生徒たちの練習をみていたが、その際、昌志が階段のところで休憩しているのを見た。

午前の練習の後、昌志は、一年B組の自分の蒲団の上に体操着のままで横になつていた。一年生の部員が昌志に「しんどかつたら誰にでもいつて休んだ方がいい。」と話しかけたところ、昌志は「うん。」と頷くだけであつた。

昼食の際、古角教諭は、昌志らと一緒に食事していたが、昌志に容態を尋ねる等その健康状態を本人から確認することはしていなかつた。

午後二時三〇分ころから午後の練習として、軽いランニングと体操、インサイド・パス、ロング・パス、ポスト・プラス・バック(ゴール・ポスト付近の生徒と離れた位置にいる生徒が攻守に分れてシュートとディフェンディングをする練習)等の練習を行つていたが午後四時ころから雷雨となつたので、グランドでの練習を中止し、体育館及び校舎内の廊下で三〇mのダッシュ、ウェイト・トレーニング等の練習を行つた。昌志は午後の練習の時は、一年B組の教室で寝ていたり他の部員の練習を見学したりして参加しなかつた。雨が上がつた後のグランド整備(いわゆるトンボ引き)に、上級生の指示に従つて昌志は参加したが、他の部員から見て幾分苦しそうな様子であつた。

入浴後、一時間ないし一時間半のミーテイングを行つた。ミーティングの内容は、専ら実戦的なポスト・シュートの方法とか、その日の練習の反省、翌日の練習メニューの周知徹底であつた。顧問教諭はミーティングの最後に睡眠を充分に取ること等の健康管理一般の注意を行つたものの、昌志に体調等を尋ねることはしていなかつた。昌志はミーティングの後直ちに就寝した。

この日、二年E組の堀伸一が午前中に便秘を訴え、また、疲労が窺えたので、顧問教諭が見学を命じたことがあつた。

(四) 同月二八日(合宿三日目)、昌志は早朝練習(グランド一〇周のジョギング)、練習試合前のウォーム・アップ練習に昌志は参加したが途中から休憩した。その後、田辺高校及び宮津高校との練習試合が行われたが、昌志は技能不足からメンバーに選ばれず見学していた。昌志は試合後の一時間半程の練習には参加したが、この時、昌志はころがつてくるボールにはいつくばつて頭を打ちつけようとしたりした後、グランドの中央で座り込んでしまつた。昌志は、他の部員及び星名コーチから「吉川だいじようぶか。少し休んでおけ。」といわれて、他の部員の介添えを得て階段のところで休憩した。顧問教諭は、この時、他校の顧問へのお礼、談話、ボイラー点火のためグランドを離れており、この時の昌志の容態を見ていなかつた。

この日、岡橋キャプテンは、昌志が二七日に用便の際意識を喪失したこと、その後に異常行動をとつたこと、かなり疲労していたこと等を星名コーチに報告した。しかし、星名コーチは、右変調以後も昌志が練習に参加していたことから、特段、その体調を気遣う等行わず昌志をそのまま練習に参加させていた。右岡橋からの報告を顧問教諭らに伝えることもしなかつた。

この日から、昌志の尿回数は一日あたり三回に減り、尿は茶褐色に混濁し、発熱、軽いアンモニア臭の発散等の症状が現れた。他の生徒の中にも昌志の異常な容態に気付く者がおり、昌志の容態がその者たちの間で話題になつていた。

(五) 同月二九日(合宿四日目)、昌志は早朝練習及び午前中の練習に参加したが、その際、走つている時にふらつくことがあつた。午後の練習では、足が前に出ず、つんのめつて倒れることがあつた。顧問教諭は、右いずれの昌志の容態を見ていなかつた。

昌志は、二七日におこした靴擦れがひどくなつていたため、終日靴の踵を踏んでいた。星名コーチは、昌志の靴擦れの状態がひどくボールを蹴ることは無理であると判断し、昌志に対して「足が動かなかつたら、やめて休んでおけ。」と命じた。

この日、古角教諭は練習中に日射病で倒れた一年生部員の榊原雅也を田辺中央病院に救急車で搬送し、同日入院させた。搬送の際、他の生徒から昌志も倒れたことを告げられた。

午後、戸田教諭は、この日の朝に顧問教諭に疲労を訴え教室で寝ていた一年B組の熊野宏彦、足の爪を怪我した二年D組の飯田晋吾を自家用車に乗せて田辺中央病院へ搬送し、診療を受けさせた。

(六) 同月三〇日(合宿五日目)、昌志は早朝練習に参加した。その後の朝食の際、古角教諭は、食堂に向かう昌志がふらついて真つ直ぐに歩けない状態であることに気付き、昌志の額に手を当てて熱を計つたところかなりの発熱を感じた。同教諭は、昌志から二七日に意識喪失があり、頭部を壁に打ち付けたり草を食べたり失笑するという異常行動を行つたことを聞いた。朝食後、古角教諭は昌志を保健室のベッドで休ませていたが、昌志が頭を打つているということが気に掛かり、出勤してきた養護教員小幡と相談の上、午後九時半ころ救急車を呼び、自らも付き添つて昌志を木津川病院に搬送した。古角教諭が木津川病院への昌志の搬送を救急車にしたのは、自家用車で搬送するよりも救急車で行つた方が診察を速やかに受けられると考えたからであつた。

(七) 本件合宿中は、日射が相当強く、気温も連日体温に近い程高かつた。生徒の宿泊場所には国際高校の教室棟二階の教室をあてていたが、同教室は通風が充分とはいえない場所であつた。

顧問教諭は、本件合宿中、午前と午後に最低一回ずつ合計一時間程は階段ないし体育館横辺りから監視していた。

星名コーチと顧問教諭が合宿中に接触する機会は、練習中だと日に二回程度、練習が終わつた後、始るまでの間、四、五分程度であつた。星名コーチは生徒と食事を一緒にせず、夜は自宅に戻つていた。朝は、九時ころ来校していたので、早朝練習には参加していなかつた。午後の練習が終わると生徒と一緒に寝泊まりしている教室に一旦一緒に帰つたが、直に自宅へ帰つた。

2  木津川病院での診療等

(一) 昭和五九年八月三〇日午前九時五五分、木津川病院に古角教諭に付き添われて昌志が搬入されてきた。病室手前の廊下で古角教諭と昌志は脳神経外科医志熊道夫医長(以下「志熊医師」という。)に二七日に五分間程意識を喪失したこと、その後に無意識で草を食べたり、意味もなく壁に頭を打ち付けたりしたこと、これらはサッカーの合宿訓練中の出来事であること、二八日ころから発熱があることを話した。志熊医師は、専ら頭部外傷と発熱(体温を計つたところ三九・七度であつた。)の関係を重視し、神経学的検査(問診による意識レベルの検査、瞳孔、三叉神経、腱反射等の検査等)、頭部レントゲン検査を行つた。頭部レントゲン検査の結果からは器質的障害等の著変は認められず、また、神経学的検査においても異常は認められなかつた。そこで、志熊医師は、昌志の主訴のうち二七日の意識喪失発作は五分間程の比較的短時間であつたことから放尿による腹圧低下に伴う一過性の失神であると、また、同日の意識喪失後の異常行動については合宿中のストレスに対する反応に過ぎず脳神経学的には問題視すべき異常行動ではないと判断し、頭部外傷(打撲)と意識喪失及び発熱は関係がないと診断した。他方、昌志は咽頭痛をも訴えていたので、志熊医師は、咽頭を診察したところ頚部硬直は認めなかつたものの咽頭の発赤を認めた。志熊医師は、右所見に加えて昌志の発熱がサッカー部の合宿訓練中に発症している事実に鑑み、脱水症状と感染症によつてもたらされている疑いがあると考え、古角教諭及び昌志に念のため内科での診察を受けることを勧めた。志熊医師による昌志の診察時間は五分から一〇分間であつた。

(二) 内科では同木津川病院内科医で主に循環器障害を専門とする和田勝医師が昌志の診察を行つた。和田医師は、発熱はあるが脳神経学的には著変を認めない旨の志熊医師の診察所見を見た後、古角教諭からサッカー合宿訓練中に昌志が急に倒れたこと、サッカーの練習は常識の範囲内であり、いわゆるシゴキ等なかつたことを、昌志からは一昨日から熱が出てふらつくことを聞いた。同医師は、昌志の発熱の原因を風邪及び脱水ではないかと思い、問診において、風邪の症状(咳、鼻、喉)の有無、脱水を助長するような嘔吐、下痢の有無を質問したころ、昌志からは咽頭痛の訴えたものの他に特段の異常は訴えられなかつた。理学的検査(肺と心臓の聴診、眼球結膜の視診、腹部及び脛骨の触診及び腱反射の検査)からは、軽い脱水症状(少し舌に乾きがみられた。)、顔面紅潮、咽頭発赤、疲労が窺われたこと以外に特段の病的な変調は認められず、血液検査からは白血球数(基準値四〇〇〇ないし八〇〇〇個/立方ミリメートル)一万六八〇〇個/立方ミリメートル、ヘマトクリット(基準値、男性四〇ないし四八%、女性三五ないし四三%)四三・〇%、赤血球数(基準値四五〇万ないし五〇〇万個/立方ミリメートル)五一六万個/立方ミリメートルとの結果が得られた。和田医師は、右所見に基づく昌志に対して日射病による軽い脱水症、疲労及び急性上気道炎の診断を下し、点滴(フィジオゾール三号五〇〇ml、ビタミン合剤《Vセット》、プリンペラン一アンプル、抗生物質《ケフリン二g》)を約二時間かけて施した。その間、和田医師は昌志及び古角教諭に対して、右診断結果を伝えるとともに、「発熱があるのは疲労と軽い脱水症状をおこしているからです。疲労があるから二、三日身体を休めるために入院していた方が良いかも知れませんが、帰つて涼しいところでゆつくり休ませた方が良いかも知れませんので連れて帰つて休ませてやつてください。三日後にまた外来で連れてきてください。」との指示をし、急性上気道炎の三日分の内服薬として抗生物質(Lーケフレックス三g)、抗炎症剤(塩化リゾチーム六パック)を処方した。 ところで、木津川病院の内科では医師の初診前に尿検査を行うことを原則としていたが昌志は検尿を行つていなかつた。和田医師が昌志に検尿を受けなかつた理由を聞くと、昌志は今は出ないと答えた。同医師は、昌志に脱水傾向があつたこと、昌志の年齢・性別から尿路感染が考えられず、また、同医師はそもそも昌志に腎疾患があるとは考えていなかつたことから、発熱の原因解明にとつて尿検査は必要ではないと判断し、尿検査を実施しなかつた。血圧に関しては昌志が普通に歩いていることやその年齢から見て計測する必要はないと考えて計らなかつた。和田医師が昌志を診察した時間は五分間位であつた。

(三) 古角教諭は、午後三時過ぎ、タクシーで昌志を学校に連れて帰り、クーラーを入れた保健室で休ませた後、グランドに一旦出て、ボイラーの点火に行つた。午後五時過ぎころ、古角教諭が原告純子に、昌志が合宿中に倒れ頭を打つたこと、発熱があつたので木津川病院で診察を受けたところ、ちよつとした過労と脱水で大した事はないということであつたこと、今学校の保健室で寝かせていること等を話し、迎えに来て貰いたい旨の連絡を入れた。原告純子は午後六時半ころ国際高校に到着し、廊下の階段の隅に立つていた昌志と会つたところ、昌志の顔、唇は粉を吹いたように真つ白であつた。原告純子は、戸田教諭に挨拶をした後、昌志を自家用車に乗せて急遽帰宅した。原告純子は昌志をシートを倒した助手席に寝かせて乗せた。昌志は目を瞑つてしんどそうであり、アンモニア臭を匂わせていた。

帰宅後、昌志には嘔気があり、食欲はなく、体温を計つたところ三八・三度であつた。昌志はその夜排尿したが、黒茶褐色であつた。

(四) 翌八月三一日、原告純子は昌志を大和郡山病院に連れて行つた。

3  大和郡山病院での診療の経過

(一) 昭和五九年八月三一日、昌志は大和郡山病院の消化器内科医の祖開医師の診察を受けた際、同月二七日に意識が朦朧として倒れたこと、その後無意識に草を食べたり失笑したり壁に頭部を意味もなく打ち付けるという異常行動を行つたこと、同月二八日から発熱、褐色尿があり、また、尿量が一日一〇回位から三回に減少したこと、同月三〇日には体温が四〇度であり、他の病院で点滴・抗生物質の投与を受けたが症状が良くならないことを訴えた。同医師が診察を行つたところ、肩に皮下気腫(皮膚とその下の筋肉あるいは結合組織の間に空気が入る状態)が疑われ、心音及び肺に著変はなかつたものの過呼吸状態が見受けられ、腹部に圧痛があり腹水が疑われた。体温は三八・〇度であつた。検尿を行つた結果、pH七、潜血反応(+++)、尿蛋白(+++)、尿糖(++)、尿沈渣として赤血球(great many)、白血球数一五ないし二〇/視野、円形上皮細胞(+)円柱(一/四ないし五視野)、細菌(++)の所見が得られた。祖開医師は昌志に対し、<1> 木津川病院で投与された抗生物質に対しての不応性と思われる発熱があること、<2> 意識障害、行動異常等の中枢神経症状があること、<3> 褐色尿があり、検尿で著明な異常成績が認められたことから高度な腎障害が窺われること等の理由により即日入院を勧め、同病院循環器内科医である森田医師に右所見を申し送つた。

(二) 昌志は同日正午ころ同病院に自ら歩いて入院した。入院時の体温は三七・七度で昌志は全身倦怠感を訴えていた。午後二時前ころ、森田医師は、まず、現病歴について問診したところ、二七日に頭がボーとして転倒し頭部を打撲したこと、その後、意思に反して草をむしり取つたり、失笑したりしたこと、同日から発熱(三九・九度)及び赤みがかつた褐色の尿があり、三〇日に近医に受診し、疲労と軽い脱水があり急性上気道炎との診断を受け、点滴の投与、内服薬の処方を受けたが軽快しなかつたこと、現在も不明熱(原因不明の発熱)があることを訴えた。

森田医師は、昌志の主訴を不明熱として、更に理学的検査を行つたところ、意識レベルは医師の質問に大体は的確な答えをするが応答に少し時間かかつたり、中には答えられなかつたりすることもある状態で、眼瞼が浮腫状に見受けられ、両側の肩から頚部にかけて捻髪音が聞かれ、心窩部に圧痛があること等の所見が得られた。森田医師は、最初の問題として、<1> 発熱、<2> 行動異常、<3> 血尿及び尿量減少等の異常を考えた。なお、八月三一日午後三時三〇分ころ、田北病院で頭部CT検査を受けたところ、左右の側脳室に非対称《右側脳室の変形》が認められる旨の所見がえられたが、この点、九月一日に県立御室病院の増田医師によつて同側脳室の変形は正常範囲であると診断された。

同日、胸部レントゲン撮影を行つたところ、心胸郭比(CTR、胸郭の横径に対する心臓の横径の比率をいい、正常値は五五%以下である。)が若干増大気味であつた。続いて血液検査として抹消血(白血球、赤血球及び血小板)の分画検査を行つたところ、白血球数一万六二〇〇個/立方ミリメートル(基準値四〇〇〇ないし九二〇〇個/立方ミリメートル)、白血球核形左方移動(好中球が増加している状態)の結果が得られたので、森田医師は昌志に中枢神経系の感染症を疑い、髄液検査(ルンバール)を行い(ただし、髄液検査からは細胞数、蛋白量等から中枢神経系の感染症については否定的である旨の診断が得られた。)、また、抗生物質の皮膚内検査をした後、午後七時ころ、輸液製剤ソリタT3二〇〇ml、セファロスポリン系抗生物質エポセリン二gの点滴と、輸液製剤(二〇%TZ二〇ml)、ペニシリン系抗生物質(リラシリン二g)を静脈内に注入した。

他方、昌志には午前の外来診察時の検尿以来、午後六時に至るも排尿が見られなかつたので、森田医師は昌志に対し乏尿性腎不全を疑い、利尿剤(ラシックス)二アンプルを静脈注射によつて投与して排尿の様子を窺うとともに、看護婦に蓄尿(一日の尿量を正確に測るため、一日分の尿を貯めること。)の指示を行つた。午後七時一五分ころ、昌志は排尿したので尿検査を行つたところ、尿量は二五ml、淡茶色透明、潜血反応(+++)、蛋白(++++)、pH五であつた。

森田医師は、同日夕方、昌志に対して急性乏尿性腎不全と診断した。

(三) 九月一日、血液生化学検査を行つたところ、<1> 血中尿素窒素値一三〇・九mg/dl(基準値八ないし二〇mg/dl)、<2> クレアチニン値一〇・九mg/dl(基準値〇・七ないし一・七mg/dl)、<3> カリウム値六・〇ミリ当量/l(三・五ないし五・三ミリ当量/l)等の結果が得られ、また、血液中の酸塩基バランス(ABG)の検査から重炭酸イオン・マイナス一三六ミリ当量/l、BE(base excess)マイナス一〇・六の値(代謝性アシドーシス)が得られ、昌志は重篤な急性腎不全であることが判明した。

急性腎不全の治療として、まず、血清カリウム値を下げるために、二〇%TZ二〇〇cc、レギュラー・インシュリン一〇E、アルブミン一mlを点滴投与し(これによりカリウム値は四・三ミリ当量/lへと低下した。)、また、代謝性アシドーシスの補正のため重炭酸水(メイロン)を注入した。

発熱について感染症が疑われたので、午後五時三〇分ころ、抗生物質(エポセリン二g、リラシリン二g)をそれぞれ静脈に投与した。

同日午後八時より血液透析を開始し、翌二日午後一時ころ終了した。森田医師は昌志の急性腎不全につき、この時点では原発性の急速進行性糸球体腎炎あるいは膠原病(結節性多発動脈炎、全身エリテマトーデス)に合併している腎不全である可能性が高いと考え、透析終了後、副腎皮質ステロイド・ホルモン(ソルメドロール一・〇g)を投与した。

右透析によつて、<1> 血液尿素窒素は一三八・六から一〇一・七mg/dl、<2> クレアチニン値は一一・五から八・四mg/dl、<3> カリウム値四・四ミリ当量/lとなつた。

この日の昌志の尿量は二二mlであつた。

(四) 九月二日、午前八時二〇分ころ三六mlの排尿があり、尿蛋白、潜血反応が三一日の外来時の検尿所見に比べて改善傾向がみられた。胸部レントゲン検査の結果によると心胸比率が改善され、また、血液検査の結果、ナトリウム及びカリウム値とも正常域の値を示すに至つた。

この日の尿量は四九mlであつた。

(五) 九月三日、午前〇時副腎皮質ステロイド剤(ソルメドロール)一g、同一二時タガメット一アンプル、午後九時二五分エポセリン二gをそれぞれ投与した。

午後四時より第二回血液透析を開始し同九時一分に終了した。透析の結果、<1> 尿素窒素は一三三・二から八四・六mg/dl、<2> クレアチニン値は一一・一から七・一mg/dl、<3> カリウム値は四・五から三・七ミリ当量/lとなつた。

筋原性酵素であるクレアチンホスホキナーゼ(CPK)は透析前に一五四三U(基準値〇ないし四五U)、アスパラギン酸アミノ基転移酵素(GOT)は透析前が三九八KU、透析後二六四KU(基準値五ないし四〇KU)、乳酸脱水素酵素(LDH)は透析前一九七一U、透析後一九六七U(基準値二二五ないし四五〇U)といずれも高い値を示しており、筋原性物質の血中融出と腎不全の関連が考えられた。

この日の尿量は、午前六時に少量、同一〇時に二、三滴であつた。午後一〇時の尿には潜血反応(+++)、蛋白(+++)がみられた。

この日、大腿静脈にカテーテルを挿入するための外科的手技(切開)を行つたことから感染防止のため午後九時二五分、エポセリン二gを投与された。

(六) 九月四日、午前九時二三分より第三回血液透析を開始し、午後二時三分に終了した。ヘパリン五ml点滴投与。透析の結果、<1> 尿素窒素は一〇九・九から五八・八mg/dl、<2> クレアチニン値は九・三から五・一mg/dlとかなり改善傾向がみられたことから、次回の透析を一日開けた九月六日に実施するよう指示した。また、カリウム値は三・八から三・四ミリ当量/lとなつたことから、腎臓食を解除することも認めた。前日同様感染防止のため午後六時、エポセリン二グラムを投与した。

この日の尿量は九〇mlであつた。

尿検査によれば、比重一・〇一八、ph六、潜血反応(+++)、蛋白(++++)、沈渣は、赤血球(三五ないし四〇/視野)、白血球(一五ないし二〇/視野)、細菌(-)であつた。

(七) 九月五日、尿量は三一・五五mlであつた。

午前一〇時五分、茶色軟便の多量排泄があり、潜血反応(++++)、pH八がみられた。森田医師は、血便の原因として、副腎皮質ステロイド剤(ソルメドロール)の副作用、ストレスからくる胃潰瘍を疑い、午後六時に副腎皮質ステロイド剤(ソメメドロール)を〇・五gに減量して投与した。

この日の尿量は約三一・五五mlであつた。

(八) 九月六日、午前九時より第四回血液透析を開始し、午後二時終了した。透析開始前のCPKは八三八U、LDHは一〇八七U、GOTは八六KUといずれも高値であつた。透析の結果、<1> 尿素窒素は一二四・六から六八・三mg/dl、<2> クレアチニン値は一二・二から六・七mg/dl、<3> カリウム値は三・五から三・四ミリ当量/lであつた。

午前四時、茶色下痢便中等量があり、潜血反応(++++)、pH八がみられた。

この日の尿量は一八mlであつた。尿検査によると、pH六、潜血反応(++)、蛋白(+++)、沈渣は、赤血球(一ないし二/視野)、白血球(三ないし五/視野)であつた。

(九) 九月七日、顔面に軽度の浮腫が窺えた。心胸郭比(CTR)が四四%となり、肺への体液貯溜の改善がみられた。また、膠原病の自己免疫抗体の検出検査として九月三日に依頼した免疫血清学検査から、RAテスト(-)、C3六八mg/dl(基準値五四ないし七四mg/dl)、C4二一mg/dl(基準値一八ないし三四mg/dl)、抗核抗体(陰性)、抗DNA抗体(陰性)、血清補体価四九・一CH50ーU(三〇ないし四〇CH50ーU)の結果が得られたことにより、膠原病である全身エステマトーデスは否定されたが、結節性多発性動脈炎の疑いは払拭できなかつた。

他方、CPKのアイソザイムを検査した結果、MM型(筋肉型)が一〇〇%であること、他の筋原性酵素(GOT、LDH)が高値を示していること等から、横紋筋融解による急性腎不全の可能性も高いと考えるに至つた。

この日の尿量は一三二mlであつた。

(一〇) 九月八日、午前八時四〇分より第五回血液透析を開始し、午後一時四五分に終了した。透析により、<1> 尿酸窒素は一二二・一から六二・六mg/dl、<2> クレアチニン値は一一・七から五・九mg/dl、<3> カリウム値三・三から三・四ミリ当量/lとなつた。

この日の尿量は一〇八mlであつた。

(一一)九月九日、午前一〇時三六分、昌志は頭痛及び露視を訴える。同一一時、全身痙攣発作(++)が起こり、意識なく、瞳孔散大となり、血圧が二二〇ないし一一〇mmHgとなる。抗痙攣剤(セルシン)二分の一アンプルを投与したが、なお、小さな痙攣が持続し、意識がなかつたので、更にセルシン二分の一アンプルを点滴内に追加し注入した。 午前一一時五分、降圧剤(ヘルラートシン)一カプセルを投与し、名前を呼ぶと昌志は「はい。」と返答して意識を回復した。

同一一時一〇分、血圧一七〇ないし一二〇mmHgとなり、左半身の痙攣も消失した。 午前一一時四〇分、森田医師が昌志の診察にあたつたところ、昌志は、質問に遅れながらもはつきりと答えた。右方位に視野狭窄(+)、右眼、左眼視力障害(+)、腱反射及びバビンスキー反射はともに異常なく、森田医師は、神経学的に異常を認めないが脳圧亢進状態があると判断し、脳出血を疑つた。

午後一時一〇分、全身に強直性痙攣が現れた。セルシン一アンプルを側注し、副腎皮質ホルモン(ソル・コーテフ)五〇〇mlを点滴注入した。暫く昌志の容態は落ち着いていたものの、午後二時、再び、全身強直性痙攣が発症し、暫く持続した。ソル・コーテフ二五〇mgを側注したところ、症状が落ち着いた。午後二時五七分、全身痙攣が起こり、セルシン一アンプルを投与した。午後三時三〇分から同五五分までの間、興奮状態、全身痙攣が生じたので、鎮静剤(一〇%フェノバール)を筋注した。以後昌志は痙攣重積状態となるが、午後四時四七分、同五時二四分、同七時二六分のそれぞれセルシン一アンプル(一〇ml)を投与し、脳浮腫に対する治療としてソル・コーテフ(午後九時一〇分)、脳圧低下剤のグリセオール(午後五時一〇分、同八時二〇分、同一〇時一五分)及びマニトール(午後九時一〇分)を投与し、下熱対策として氷枕、両腋窩に氷嚢、インダシン座薬を用いた。

感情、失禁、意識レベルが低下し、午後七時田北病院へ赴きCT検査を受けたところ、脳内出血はないが脳浮腫があるとの所見が得られた。痙攣が数分起きに出現し、抗痙攣剤も無効となつた。

午後一一時五分、昌志は分泌物による一時的窒息状態に陥つたが、分泌物を吸引し、挿管した後、蘇生術を施行すると自然呼吸が回復した。

午後一一時四〇分より第六回血液透析を開始し、翌一〇日午前二時一五分透析終了した。

(一二) 九月一〇日、透析終了後朝にかけて痙攣重積状態となり、抗痙攣剤を投与しても効果なく、次第に除脳硬直状態となつた。午後四時四〇分より第七回血液透析開始した。午後五時三五分、血圧低下し、強心剤(ドパミン、ジギタリス)を投与するも反応せず、透析を終了した。午後五時五〇分、呼吸が停止し、午後六時に心停止に至つたので、カテコールアミンを心注し、心マッサージ等の蘇生術を施行したが効果がなかつた。

午後七時一三分、昌志は、脳浮腫(脳ヘルニア)による呼吸抑制及び心不全の増強を直接の死因として死亡した。

三  昌志の死亡の機序

1  横紋筋融解による腎不全について

《証拠略》によると以下の事実が認められる。

(一) 横紋筋融解(Rhabdomyolysis)

(1) 横紋筋融解とは、骨格筋の急激な崩壊によつて、筋細胞構成成分であるミオグロビン(Mb)、CPK、GOT、LDH、アルドラーゼ等の酵素、カリウム、リン等の電解質、プリン体が血中及び尿中に放出され、ミオグロビン血(尿)症、高尿酸血症、高カリウム血症等多彩な病態を呈する状態をいう。

(2) 急性腎不全の発症機序

横紋筋融解によつて放出されたミオグロビンが急性腎不全を発症させることは、一九四一年の臨床報告以来知られるようになつた。その発症機序として、<1> ミオグロビンが腎血流量・糸球体濾過量を減少させ、<2> ミオグロビン含有円柱が尿細管内に形成され尿細管を閉塞させ、<3> ミオグロビンから分離されるヘマチンが尿細管上皮細胞を直接障害し急性腎不全(急性尿細管壊死)を発症させると考えられている。

横紋筋融解の発生要因としては、過激な運動(マラソン、ラグビー等)、外傷、代謝異常(電解質異常等)等多様なものがある。但し、運動によつて横紋筋融解が起こつても、必ずしも急性腎不全を発症するとはいえず、他に、高温多湿の環境下で脱水状態に陥つていたり、感染症を合併していたり、患者の運動に対する馴化の程度等様々な要因が関係した場合に急性腎不全を発症することが多い。

我が国では、運動による横紋筋融解は一九七六年に医学雑誌に紹介されて以来報告があるが、熱射病として報告されている場合も多い。横紋筋融解による急性腎不全は決して稀な疾患ではないが、我が国での報告例が少ない理由のひとつとしては、診断が充分になされず、見過ごされている可能性もある。

(3) 横紋筋融解の診断に当たつては血中のミオグロビン及びCPKをみるのが有用であるが、特に横紋筋融解による急性腎不全を診断するには、腎機能低下があつても高値を示さないCPKの高値をみることが有用である。血中のCPKのアイソザイム(CPKにはM型《筋肉型》とB型《脳型》のサブ・ユニットの二量体であるため、MM型、MB型、BB型の三種類のアイソザイムがある。)が九〇%以上MM型であると横紋筋融解であると診断できる。

横紋筋融解の臨床所見としては、筋症状として、筋痛、腫脹、脱力、検査所見として褐色尿(ミオグロビン尿。潜血反応は陽性である。)がみられる。

(4) 横紋筋融解の治療としては、原疾患(代謝障害、外傷等)の治療とともに、水分補給、電解質の補正、利尿剤の投与等による急性腎不全の予防を行う。運動による横紋筋融解の場合は、安静にさせて体温を冷やし、高温多湿の環境から患者を隔離し、脱水があればそれを補正することで筋肉の崩壊を止めることが大切である。

(二) 急性腎不全

(1) 急性腎不全とは、腎機能の急激な低下ないし廃絶によつて急速に血中尿素窒素(BUN)・血清クレアチニンが上昇し、体液の恒常性(Homeostasis)を維持できなくなつた状態をいい、病因の存在部位にしたがつて腎前性、腎性及び腎後性に分類される。まず、<1> 腎前性とは、急激な全身の循環障害に続発する腎血流量(RBF)の減少によつて、糸球体濾過値(GFR)が低下する状態で、脱水、ショック、心不全等の場合にみられ、腎実質の器質的障害を起こすまでに至らない機能的腎不全をいう。<2> 腎性とは、腎虚血や腎毒性物質等から急性尿細管壊死、急性糸球体腎炎(腎炎)、急性進行性糸球体腎炎等の腎実質の器質的障害が生じた場合をいう。<3> 腎後性とは、結石、前立腺肥大等による腎盂以下の尿路閉塞による尿流障害を原因とする場合をいう。

(2) 臨床経過

<1> [乏尿期] 乏尿(一日の尿量が四〇〇ml以下)あるいは無尿(一日の尿量が一〇〇ml以下)が一日から数週間続き(ただし、尿量の減少をみない場合もある《非乏尿性急性腎不全》。)、尿が血液の崩壊産物や尿細管の壊死組織片により濃く混濁している。血液生化学検査では、血中尿素窒素値・血清クレアチニン・尿酸値が上昇し、高窒素血症が出現するとともに、低ナトリウム血圧・高カリウム血症・低Ca血症・高P血症・代謝性アシドーシス等の水電解質・酸塩基平衡障害が起こる。乏尿出現後数日間は現疾患の臨床症状が主体であるが、経過とともに消化器症状(食欲不振、嘔気、嘔吐、アンモニア臭の口臭《尿毒症臭》等)・循環器症状(血圧の軽度ないし中程度の上昇、不整脈等)・中枢神経症状(脱力倦怠感、意識障害、痙攣等)等の尿毒症症状がみられる。

<2> [利尿期] 腎病変が回復傾向にはいつたことを示唆する状態で、二四時間尿が一〇〇〇mlに達した時点以降をいう。初めの数時間に嘔気、嘔吐は消失し、食欲が出て一般状態は著しく改善するが、尿量は安定せず一日に数リットルに及ぶこともあり(多尿)、感染症や脱水などの危険性がある。一日から数週間続く。

<3> [回復期] 尿量が正常となり、高窒素血症もみられなくなつた状態をいう。しかし腎機能が安定するまで数か月を要する。

(3) 診断

詳細な病歴の聴取と尿量、尿比重、尿素窒素・クレアチニン値等に注意すれば急性腎不全の診断は比較的容易である。尿検査で急性腎不全の原因が明らかになる場合が多い。まず、尿量について無尿か乏尿かあるいは完全無尿(一日の尿量が〇ml、この場合は尿路閉塞等腎後性疾患が考えられる。)を聴取する。脱水の有無、体重の変化に注意し、運動・筋肉痛・血圧低下・ウイルス感染・ショック等の現病歴をとる。食欲不振・嘔吐・嘔気等の尿毒症症状の有無を聴取する。血液生化学検査を実施し、血中尿素窒素値・クレアチニン値・血清カリウム値等を調べる。

<1> [尿所見] 腎前性急性腎不全では尿比重一・〇二〇以上、尿浸透圧五〇〇ミリオスモル/kg以上、尿・血漿浸透圧比一・五といずれも高いが、尿ナトリウム濃度は二〇ミリ当量/l以下と低く、尿沈渣は通常異常所見がみられない。他方、腎性急性腎不全(急性尿細管壊死)では尿比重一・〇二〇以下、尿浸透圧三五〇ミリオスモル/kg以下(二八〇ないし三二〇ミリオスモル/kg)、尿・血漿浸透圧比一・一以下と低く、尿ナトリウム濃度は四〇ミリ当量/l以上と高く、尿沈渣では顆粒円柱、上皮細胞、赤血球を認めることが多い。

腎前性と腎性との鑑別診断として、まず、フロセミド試験(フロセミド試験とは、フロセミド《製品名「ラシックス」》等の利尿剤の一定量を投与して、それに対する腎《尿細管》の反応性を投与前後の一定時間の尿量及びナトリウム、カリウム等の溶質排泄量等によつて判断しようとする方法をいう。)等で利尿を試みる。利尿薬に対してよく反応するものはまだ腎前性の要素が強いと考えられ、輸液輸血等で腎前性因子の改善に努める。完成した急性尿細管壊死では尿量の増加が認められないため、フロセミド試験で反応性を認めなければ血中尿素窒素等の値にかかわらず直ちに透析に移行する。

<2> [高窒素血症] 乏尿期には、血中尿素窒素値が一日一〇ないし二〇mg/dlの上昇をみる。この値は蛋白摂取量、異化亢進の程度に影響される。通常、蛋白の異化は最初の二ないし三日が最大である。血清クレアチニン値は、一日に〇・五ないし一・〇mg/dlで上昇する。横紋筋融解による急性腎不全では、血清クレアチニン値は一日に三mg/dlで上昇することが多い。

一日当たり血中尿素窒素値が一〇mq/dl以上、血清クレアチニン値〇・五mg/dl以上で上昇していれば急性腎不全と考えてよい。

<3> [水電解質、酸塩基平衡障害] 飲食制限の不徹底、過剰な輸液等により、尿量の減少に伴つて細胞外体液量が増加し、希釈性低ナトリウム血症(一三五ミリ当量/l以下)が起こり易い。肺水腫に注意する。

腎のカリウム排泄減少、アシドーシスによるカリウムの細胞外放出、組織の崩壊による細胞内よりのカリウム遊出による高カリウム血症(五・五ミリ当量/l以上)が生じ易い。血清カリウム濃度は発症早期には正常で、乏尿期間中に急速に上昇する。血清カリウム値が急速に六ミリ当量/lを超える場合は直ちに透析を行う。

低Ca血症に対しては、血清Ca値が八mg/dl以下に減少しない限り治療の必要性はない。

4  [酸塩基平衡異常] 血清重炭酸イオン・マイナス濃度が一五ミリ当量/l以下に減少しない限り治療の必要はない。一五ミリ当量/l以下になれば、代謝性アシドーシスの治療のため、重炭酸ナトリウムの経口投与、透析を実施する。

(4) 治療及び透析療法の開始時期

<1> 腎前性及び腎後性腎不全の場合は、腎自体に障害がないので、速やかに原疾患である腎前性あるいは腎後性要因(脱水、ショック等による循環障害あるいは尿路系の尿流障害)を除去すれば急性腎不全は改善する。腎性腎不全は、急速進行性腎炎や膠原病等の重篤な糸球体病変を伴う場合は可逆性が低いが、急性尿細管壊死の場合は早期に尿細管機能の回復治療を試み、原疾患の治療に当たれば可逆性が高い。急性尿細管壊死の完成前である急性腎不全発症二四ないし四八時間以内で血清クレアチニン値五mg/dl以下の時点があれば薬物治療(マンニトール、フロセミド、ドーパミン、アミノ酸)等の保存的療法で治癒する可能性が高い。しかし、最も有効な治療は透析療法(特に、血液透析)であるから、腎性急性腎不全の場合は、直ちに透析を開始することである。

<2> 血清カリウム濃度が五・五ミリ当量/l以上、血中尿素窒素値が一〇〇mg/dl以上になつてから透析を開始した場合の死亡率は高い。透析療法の開始時期は、乏尿三日、血清カリウム濃度六ミリ当量/l以上、血清クレアチニン値一〇mg/dl以上、血中尿素窒素値は八〇mg/dl遅くとも一〇〇mg/dlに達しない間(乏尿早期)に人工透析を実施すべきである。

<3> 溢水による肺水腫の治療としては利尿剤・モルヒネの投与であり、高カリウム血症の治療としては、カルシウム剤(グルコン酸カルシウム)の投与、インシュリン療法、重炭酸ナトリウムの静注による代謝性アシドーシスの是正、イオン交換樹脂の投与等があるが体内のカリウム除去に最も有効な治療法は透析療法、特に血液透析である。

2 昌志の死亡の機序

(一) 急性腎不全の原疾患と発症時期

(1) 前示二のとおり昌志は重篤な急性腎不全に罹患していたものであるが、まず、この原疾患について検討するに、<1> 前掲乙第二一号証によると血液検査から血中ミオグロビン濃度が五〇〇mg/dl(基準値六〇mg/dl以下)と高値であつたことが認められ、前示二のとおり大和郡山病院入院当初から血清中に筋原性酵素であるCPK、LDH、GOT、アルドラーゼが高値を示していた上、CPKアイソザイムがMM型一〇〇%であつたこと、本件合宿中である八月二八日以来褐色尿がみられたこと、これらの事実は前示三1(一)(3)(横紋筋融解の診断)によれば昌志に横紋筋融解によるミオグロビン血症が発症していたことを示すものであること、<2> 《証拠略》によれば、昌志の死後に行われた腎臓の病理組織検査の結果、糸球体には著変が認められず、他方、尿細管には著明な膨張や拡張(変性、空胞化)を示すものがみられ、間質は浮腫状で軽度の炎症細菌浸潤を伴つていることが、判明したこと、これらは急性尿細管壊死の組織像であること、<3> 前示三1(一)のとおり、横紋筋融解による急性腎不全にあつては尿細管の障害(急性尿細管壊死)を特徴とするものであること等からすると、昌志の急性腎不全は横紋筋融解を主な原疾患とするものであつたと認めることができる。

(2) 次に、昌志の横紋筋融解による急性腎不全の発症時期を検討する。

この点、原告は本件合宿中の過激な運動に起因して発症した旨主張する。運動を原因とする横紋筋融解による急性腎不全の発症時期を判断するには、前示三1(一)(3)及び同(二)(2)のとおりの横紋筋融解の症状、急性腎不全の症状の発現時期や、前示三1(一)(2)のとおり運動の量・質、個人の運動への馴化・疲労の蓄積度、気温・湿度等の環境要因、脱水症状等の合併症の有無等を検討することが必要である。

<1> 急性腎不全の症状の発現時期

前示二のとおり大和郡山病院での初診時の尿検査の結果(潜血反応《+++》、尿蛋白《+++》、尿沈渣として、赤血球《great many。但し、後のCPK検査の結果等からこれはミオグロビンであつたと推認できる。》、円形上皮細胞《+》、円柱《一/四ないし五視野》)、翌日の血液生化学検査の結果(尿素窒素値一三〇・九mg/dl、クレアチニン値一〇・九mg/dl、カリウム値六・〇ミリ当量/l、重炭酸イオン・マイナス一三六ミリ当量/l)等からすると、昌志は大和郡山病院受診時である八月三一日には既に急性腎不全が重篤な事態にまで伸展していたのであるが、前示二のとおり昌志は八月二八日から乏尿に陥り、茶褐色尿が現れたこと(後のCPK検査等から、これはミオグロビン尿であつたことが推認できる。)、尿毒症症状と思われるアンモニア臭の発散がみられることからすると、昌志は遅くとも八月二八日には急性腎不全の症状を発現するに至つたことが認められる。

ところで、被告啓信会は、《証拠略》より横紋筋融解による急性腎不全の場合は、血清クレアチニン値が一日三mg/dl以上の速度で上昇し、また、血中尿素窒素は少なくても一日あたり三〇mg/dl以上、通常五〇mg/dlないし一〇〇mg/dl以上の速度で上昇するとして、木津川病院受診時(八月三〇日)には、九月一日の大和郡山病院の血液生化学検査の値からすると血中尿素窒素及び血清クリアチニン値はいずれも正常範囲内の値(BUN二〇mg/dl以下、クレアチニン一・一五mg/dl以下)であつたといい、八月三〇日には未だ急性腎不全は発症していなかつた旨主張する。この点、後述するように九月一日時点の血中尿素窒素及び血清クレアチニン値より八月三〇日のそれは格段に低かつた可能性はあるが、前示のとおり、既に昌志には八月二八日時点で急性腎不全の症状が顕れていた以上八月三〇日時点で右値がそれぞれ正常値内であつたとまで推認することはできず、同時点での急性腎不全の発症を否定するに至らないものである。したがつて、被告啓信会の右主張は採用できず、他に前示認定を覆すに足りる証拠はない。

<2> 横紋筋融解による急性腎不全の発生時期

前示三1(一)(2)のとおり運動を原因とする横紋筋融解による急性腎不全の発生には単に過激な運動だけでなく、その他の環境要因、患者の個人的事情、脱水症状等の合併症の存在等様々な要因が付加されていることが通常は必要である。

この点、前示二のとおり、本件合宿は連日の猛暑の中、初日(八月二六日)から参加生徒の基礎体力・運動能力・サッカー経験等の差異にかかわらず、全員一律の練習メニューのもと、体力の消耗の激しい練習が行われていたこと、本件合宿前はサッカー部は夏休みで八月の中旬(本件合宿一週間前)に三日間ほど一日あたり二時間程度の練習を行つていたに過ぎないこと、昌志は基礎体力が他の生徒より劣つていたこと、昌志も本件合宿前には右八月中旬の練習に参加しただけで他に運動をしていなかつたこと、宿泊場所である教室が必ずしも通風が良いとはいえず昌志が充分な睡眠が摂れたか疑問が残ること、昌志は八月二七日(合宿二日目)以降頻繁に休憩を取つていてかなりの疲労が窺えたこと、木津川病院受診時において昌志に脱水症状が存在していたこと、八月二七日には意識喪失及びその後の異常行動を示していること(なお、この症状につき原告らは尿毒症症状である旨主張するが、この時点では他に尿毒症罹患を窺わせる症状が発現していないこと、意識喪失も一過性であつたこと等からすると尿毒症症状としての中枢神経障害とまで認めることはできず、むしろ、当時の諸般の事情に鑑みれば熱射病からくる中枢神経障害と認めるのが相当である。)、他方、昌志は基礎体力は劣るものの虚弱ではなく、また、本件合宿前に何らかの疾患にかかつていたものでもなく健康体であつたこと等の事情からすると、昌志の横紋筋融解は本件合宿開始後(その日の練習の後)に発生し、遅くとも八月二八日には急性腎不全にまで発展したものであることが認められる。

(二) 急性腎不全と脳浮腫による死亡との因果関係

前示二のとおり、昌志は死亡する二日前から痙攣重積状態に陥り、脳浮腫を発症させて死亡したものであるが、この点、被告らは、右痙攣発作及び脳浮腫は大和郡山病院の抗生物質(エポセリン、リラシリン)の過剰投与によつて、あるいは同病院が投与した副腎皮質ステロイド剤(ソルメドロール、プレドニン)の投与によつて、その副作用からもたらされたものであり、あるいは大和郡山病院の痙攣重性状態時の呼吸管理ミスによつてもたらされたものであり、横紋筋融解による急性腎不全と昌志の死亡との間に因果関係はない旨主張する。

(1) そこで、まず、抗生物質の過剰投与の点を検討するに、前示二の事実に加えて、《証拠略》によれば、大和郡山病院は、エポセリンを八月三一日、九月一日、三日、四日にそれぞれ二g、七日に一gを、リラシリンを八月三一日、九月一日に二gをそれぞれ投与していること、エポセリンは主として腎臓より排泄されることから腎機能障害のある患者に投与する場合は腎障害の程度に応じて血清中濃度半減期が延長すること、しかし、血液透析中の半減期は非透析時のおよそ八分の一に短縮される等透析により除去されやすい特性を有すること、大和郡山病院では昌志の痙攣発作が発症するまでに、九月一日、三日、四日、六日、八日の七回にわたつて血液透析を実施していること、エポセリンにおいては副作用として稀に血液尿素窒素、クレアチニン等の上昇をもたらすことはあるもののセフェル系抗生物質の中では痙攣等の中枢神経症状の惹起を最も伴い難いものであること、他方、リラシリンには副作用として腎不全患者に痙攣等神経症状をおこすことがあるが、しかし、これは大量投与をした場合であることが認められ、これらの事実からすると、昌志の痙攣発作がエポセリン、リラシリンの体内蓄積によつてもたらされたと考えることは極めて困難である。

(2) 次に、副腎皮質ステロイド剤の投与の影響について検討する。

《証拠略》によると、副腎皮質ステロイド剤の副作用として痙攣等の中枢神経症状を発症させることが認められるものの、前示二に認定した大和郡山病院での副腎皮質ステロイド剤の投与量、投与の時期と痙攣発作の発症時期等に鑑みると、右薬剤の副作用として昌志の痙攣発作が発症したと考えることは極めて困難である。

(3) また、被告啓信会は、昌志の脳浮腫の発症及び呼吸抑制、心不全等は、大和郡山病院の痙攣発作に対する処置(呼吸管理等)の不手際から生じたとして、急性腎不全と昌志の死との因果関係はない旨主張するが、前示二に認定判断した事実を検討するに、殊更、大和郡山病院の呼吸管理等に不手際が窺えず、右主張は採用するに至らないものといわざるを得ない。

更に、本件各証拠を検討するも、昌志の直接死因である脳浮腫を、横紋筋融解による急性腎不全以外のこれと因果的に独立して評価できる他の疾患ないし医原性要因に求めることは困難であるから、昌志に脳浮腫が起こつた原因についてはこれを横紋筋融解による急性腎不全に求めることが相当である。

四  責任原因

1  被告同志社

(一) 前示二のとおり、被告同志社の履行補助者である顧問教諭らは本件合宿参加生徒に対し、合宿訓練中、生徒の健康状態に留意し、生徒の健康に異常が生じないように注意し、参加生徒の健康状態に異常を発見した場合は速やかに応急措置を採る等して生徒の健康を損ねさせないよう注意すべき義務を負うものである。殊に、本件合宿訓練が高気温である夏期に実施されているのであるから、体調を乱す生徒が生ずることは充分に予想ができることであり、顧問教諭らは生徒の健康につき深い配慮をすべき義務があることは当然である。

ところで、本件合宿中における気温湿度等の外的環境、合宿初日からの練習状況、昌志の個人的要因(サッカー部での経験が浅いこと、基礎体力・運動能力が劣り疲れやすいが、努力家で無理をして過重な練習をしがちであること、等)等の諸般の事情に鑑みれば、昌志において過度の運動、疲労等によつて体調不良を来し腎疾患を発症させる可能性が極めて高かつたのであるから、顧問教師らとすれば、昌志の運動内容及び量、休憩の取り方及び仕方に配慮し、昌志に腎疾患の原因となる事情を発生させないよう注意すべき義務がある。また、昌志は八月二七日以降は練習を見学することが多く、また、練習中も奇異な行動(はいつくばつてボールに頭を打ち付ける等)みられる等疲労の度合いが激しいことが顕著であつたこと、また、二八日以降は軽いアンモニア臭の発散もみられたこと、二七日の意識喪失及びその後の異常行動を岡橋キャプテンをはじめ部員に話していたこと、その他昌志の性格・性状(疲れが表情に出ず外見上昌志の疲労度を推し量り難いこと、先輩に対してはつきりと自己主張できないこと)等の事情に鑑みれば、顧問教諭らとすれば、昌志の動態を注視し、あるいは昌志本人のみならず他の生徒からも能動的に昌志の体調を聞き出す等して、昌志の腎疾患を発見しもつて速やかに救急措置(高温多湿な環境から隔離して安静を取らせる等)を施すべき注意義務があつたものというべきであるが、顧問教諭らにおいて、漫然これを怠り、八月三〇日に至るまで昌志を放置した過失により、昌志に横紋筋融解による腎不全を発症せしめたものである。

(二)(1) なお、被告同志社は、右注意義務に関して、運動による横紋筋融解を原因とする急性腎不全の発症は極めて稀であり、最近臨床医師にようやく知られ始めた疾患であり、顧問教諭らにおいて昌志の右疾患を予見することは不可能であつたこと、また、現在に至つても横紋筋融解による急性腎不全の発症機序、防止方法は不明であるから仮に昌志の横紋筋融解による急性腎不全を顧問教諭らにおいて予見し得ても右疾患の発症の防止ないし救護は不可能である旨主張する。

この点、確かに、《証拠略》によると、横紋筋融解に至る機序、ミオグロビン血症から急性腎不全に至る機序については医学的に不明な点が多いこと、我が国において運動による横紋筋融解は一九七六年に医学雑誌に紹介され以来報告がなされるようになつたが臨床報告例は少ないことが認められる。しかし、《証拠略》によると過激な運動から血尿(ミオグロビン血症)を呈し急性腎不全に至ることは、発症の機序・原因等の医学的解明はともかくとして、本件当時においても、行軍血症等の名の下に一般的に周知されていたことに鑑みれば、本件当時においても、少なくとも高温多湿な環境下で過重な運動を行えば急性腎不全が発症することは、医師以外の一般スポーツ関係者にとつても常識であるというべきである。従つて、顧問教諭らがこの点を予見できない理由はない。また、横紋筋融解による急性腎不全の予防方法及び応急措置は、高温多湿の環境から患者を隔離し、安静にさせて体温を冷やし、脱水があればそれを補正することであるが、このような措置が有効であることは、過重な運動から急性腎不全を発症する場合において従前来経験的に理解されて、かつ、行われてきたものであり、横紋筋融解による急性腎不全の専門医学的知識を有する者でなくとも、本件当時においても運動クラブの監督者が右のような有効な予防方法などを執り得た筈である。 本件において顧問教諭らに求められるべき注意義務は、右のとおり横紋筋融解による急性腎不全に関する医学的専門的知識等を要することなく履行し得る程度のものであり、また、この程度の注意義務を果たしていれば昌志の腎疾患の発生、発展を防止できたのであるから、被告同志社の主張は採用できないものである。

(2) 更に被告同志社は、昌志の体調不良なる旨の申出がなかつたから急性腎不全を予見することは不可能であつたとする主張は、前示のとおり、本件合宿中の昌志の容態・振舞・休憩の取り方等客観的な事情からすると、少なくとも昌志の体調不良は容易に認識できたと思われること、更に、昌志の性格・性状(努力家で無理をするが、疲れが表情に出ず、また、先輩に対してはつきり自己主張できない等。)、基礎体力が劣ること、そしてこれらの事情を顧問教諭らは本件合宿前に知つていたことからすると、顧問教諭らにおいては昌志の申し出を待つことなく能動的にその容体を知るための方策を施すべきであつたというべきであるから、被告同志社の右主張は採用できないものといわざるを得ない。

(三) したがつて、被告同志社は、顧問教諭らの使用者として右過失によつて生じた損害につき賠償すべき責任を負う。

2  被告啓信会

(一) 木津川病院の医師は、患者である昌志に対して現代医学の知識・技術を駆使して可及的速やかにその病状を医学的に解明し、原因ないし病状を的確に診断した上、当時の医学水準に応じた適切な治療を迅速に施すべき注意義務を負うものである。

前示のとおり昌志は木津川病院受診時において既に急性腎不全に罹患していたものであるが、同病院外来診察時に尿がでなかつたこと、昌志は連日の高温下で運動量が決して少なくないサッカーの合宿訓練中に体調不良を生じていること、軽いアンモニア臭を発散させていたことからすると、同病院医師としては、昌志に対し、原病歴に対する充分な問診と、病態を解明するための簡単な理学的検査を行う等して、昌志の腎疾患を的確に診断することは可能であつたというべきである。そして、医師としては、腎疾患の発症を確認した場合、透析療法等適切かつ迅速な治療を施すべき義務があるのは当然である。しかるに、木津川病院医師は、漫然これらの検査などを実施すべき義務を怠り、当初から腎不全を全く念頭におかず、急性上気道炎であるとの診断にだけとらわれ、急性腎不全に対する早期治療を施さなかつた点に過失がある。

(二) ところで、被告啓信会は、《証拠略》に症例(1)として記載されている横紋筋融解による急性腎不全の症例(入院時の血清尿素窒素値が一一〇mg/dl、クレアチニン値一一・五mg/dl、カリウム値七・三ミリ当量/1であつたが、血液透析により治癒した例)によれば、本件昌志の大和郡山病院入院時の血液生化学検査値を比べても大和郡山病院での血液透析管理さえ充分行われていれば、治癒したものである旨主張し大和郡山病院での透析管理ミスという被告らに関係のない医原的ミスが昌志の死亡原因である旨主張する。しかし、右症例は、確かに、高窒素血症、高カリウム血症の値の点で九月一日時点の昌志の容態と類似するものであるが、右症例は、発病の翌日から入院し、血液透析を受けていること、尿細管壊死は早期であればあるほど可逆性があることからすると、発病後四日目で血液透析を開始された本件とは事案を異にし、必ずしも妥当ではない。

(三) 更に、前示三1(二)(4)のとおり透析療法の開始時期は、乏尿三日、血清カリウム値六ミリ当量/1以上、血清クレアチニン値一〇mg/dl以上、血中尿素窒素値は八〇mg/dl遅くとも一〇〇mg/dlに達しない間(乏尿早期)に人工透析を実施すべきであるとされる。また、《証拠略》によれば、透析を実施した場合の死亡率が透析前の血液尿素窒素値一〇〇mg/dl内のとき、二一・七%、一〇〇以上一五〇mg/dl以下のとき四七・一%、血清カリウム値三・五ミリ当量/1以下のとき三三・三%、三・六以上五・五ミリ当量/1以下のとき三〇・三%、五・六以上七・〇ミリ当量/1以下のとき五六・一%であることが認められる。

前示二のとおり大和郡山病院入院後である九月一日の血液生化学検査によれば、<1> 血中尿素窒素値一三〇・九mg/dl、<2> クレアチニン値一〇・九mg/dl、<3> カリウム値六・〇ミリ当量/1であつたが、右死亡率にあてはめると、<1>は四七・一%、3は五六・一%であり、この時点において血液透析を実施しても死亡率が高かつたことが窺われる。

ところで、木津川病院受診日である八月三〇日の血液透析による死亡率を推測するに、《証拠略》によると、横紋筋融解による急性腎不全の場合の血清クリアチニン値は一日あたり三mg/dlで上昇し、また、血中尿酸窒素値は、組織崩壊や異化が亢進している場合は一日あたり五〇mg/dlの割合で上昇することも稀ではなく、また、無尿開始時の四、五日間は通常一日あたり三〇ないし五〇mg/dlの速度で上昇し、中には一日一〇八mg/dlで上昇する例もあることが認められる。右数値をもとに、八月三〇日時点の血中尿酸窒素値及び血清クレアチニン値を推測すると、血中尿酸窒素値についての上昇値を右の中から最も小さいもの(一日あたり三〇mg/dl)に依拠するとしても、八月三〇日当時は血中尿酸窒素値七〇・九mg/dl、血清クレアチニン値は四・九mg/dlとなる。この値をみる限り、木津川病院が八月三〇日に昌志の検査を実施するとともに入院させるなど適切な措置をとり、かつ、血液透析を実施し、腎不全の改善をさせたときは、昌志の救命の可能性があつたものというべきである。しかるに、木津川病院では、志熊医師が脳神経学的に著変を認めないと診断し、和田医師が発熱を疲労と軽い脱水症状に基づくものと診断の上、急性上気道炎の内服薬だけを与えて昌志を帰宅させたものであり、木津川病院が早い時期に昌志に血液透析をしていれば昌志が助かつた可能性が存し、和田医師には透析等必要な医療行為を怠つた点に過失がある。このため、大和郡山病院で昌志に対して重篤な急性腎不全であると診断し、血液透析を実施し、一時尿酸窒素値などが改善されたものの、死亡するに至つたものであり、大和郡山病院の医療行為には何ら違法の点は存しない。

(四) よつて、被告啓信会は、和田医師の使用者として右過失によつて生じた損害につき民法七一五条により賠償すべき責任を負う。

五  進んで、損害を検討する。

1  昌志の逸失利益 三三五九万一八一二円

前示のとおり、昌志が昭和四三年六月六日生で、死亡当時(昭和五九年九月一〇日)満一六歳であつたが、一八歳から六七歳までは稼働可能であり、その間賃金センサス昭和五九年第一巻第一表、産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の全年齢平均年間給与額四〇七万六八〇〇円を基礎に計算した額の収入を得られたと推認することができる。その間の昌志の生活費割合は五〇%とみるのが相当である。ライプニッツ式計算方式で年五分の中間利息を控除すると、昌志の死亡当時における逸失利益の現在価格は次の式のとおり三三五九万一八一二円(一円未満切捨て)となる。

なお、昌志が大学に進学する蓋然性を認めるに足りる証拠はない。

4、076、800×0.5×(18.3389-1.8594)=33591812.8

ライプニッツ係数

五一年 一八・三三八九

五二年 一・八五九四

2 慰謝料

昌志の年齢、本件合宿の経緯、木津川病院での診療の態様等その他本件審理に顕れた一切の事情に鑑みると、昌志の慰謝料は一三〇〇万円を下らないものと認定するのが相当である。

3  葬儀費用 八〇万円

昌志の葬儀に要した費用が八〇万円であつたことは原告らと被告同志社間に争いがなく、また、原告らと被告啓信会では、弁論の全趣旨により右事実が認められるところ、右費用は本件と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。

4  弁護士費用 三〇〇万円

弁論の全趣旨によると、原告らは、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に依頼し報酬の支払を約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照すと、本件治療行為と相当因果関係に立つ損害として被告において負担を命ずべき弁護士費用の額は三〇〇万円と認めるのが相当である。

前示のとおり、原告らは昌志の父母であり、昌志の相続人として同人の死亡により同人の有する権利を相続したことが認められるので、右1及び2の合計額四六五九万一八一二円の二分の一の損害賠償請求権を相続によつて取得した。また、右3及び4の各費用については原告らは平等割合で支出したものと認めるのが相当であるから、原告らはそれぞれの損害額の二分の一の損害賠償請求権を有するものである。従つて、原告らの各損害合計は二五一九万五九〇六円となる。

五  以上の次第で、原告らの請求は、被告らに対し、本件の損害として各内金二五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日(同日が昭和六一年三月二七日であることは当裁判所にとつて顕著な事実である。)の翌日である昭和六一年三月二八日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものとして理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 大野康裕)

裁判官 鍬田則仁は転補のため署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 小北陽三)

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